「凛とした女の子におなりなさい」阿久悠
2008年暮しの手帖社
阿久悠さんが生前、「暮しの手帖」に連載していたという詩をまとめた一冊。
女の子だからといって
ヨワヨワしていたり メソメソしていたり
何かというと他人を頼りにして
愛しいと思われてみたり 
そんな子である必要はないのですよ
助けてやりたいとか 庇ってやりたいとか 守ってやりたいとか
男にとってはいい気分だろうけど
そんなもの 美徳でも 魅力でもありゃしない
いいかい 女の子だって 強くってもいいんだよ
粗雑であったり 乱暴であったり 
不行儀が平気は困るけど
ちょっとした挨拶の誠意と
心地よい微笑の会釈と
問われた時にハイと答える
意志さえ感じさせれば 強くっていい
男は自分が弱い者だから
縋りつく子を抱きしめるが
そんなのは三日だけの愛しさ
あとは 只の重荷になる
傷つけないようにハッキリと言い
ぶじょくを感じさせない態度をしたら
あとは 自由に生きなさい
自由で強くてやさしい子を 凛としていると言います
凛とした女の子になりなさい
凛とした・・・ 近頃いないのです
# by n__hana | 2008-09-14 22:52 | 詩歌
「おなか・ほっぺ・おしり」伊藤比呂美
1987年婦人生活社、1993年集英社文庫
古本市でもらってきた本、その2。
詩人が書いた、子育ての悲喜こもごも。
「面白い!」とすすめられたことはありましたが、こんなに面白いとは!
なまなましくってぐっちゃぐちゃ。
でも、それが魅力的。
なにしろ、「わたしの理想は、ごはんを食べるように妊娠して、うんこをするように分娩すること」というんですから!
コドモを実際に育ててみると、ナマのコドモというものから目を離せません。ナマのコドモは、きたなくて、きたないものが好きで、嫉妬ぶかくて、くいしんぼで、うるさくて、自己中心的で、甘ったれで、こわがりで、知りたがりで、融通がきかず、しかし同時に柔軟なものの見方を持ち、立ち直りが早い。やつらがナマを出せば出すほど、オトナからはかけ離れ、オトナであるわたしはいらだたしいうっとうしいうらやましい。
しかし、わたしが好きな絵本には、どれもこれも、コドモのきたなさやわけのわからなさがむんむんしています。なかには徹底的にオトナから見たコドモ像、つまり、うるさくてばけものみたいな存在として描かれている絵本もあります(『まどのそとのそのまたむこう』)。わたしもこの作者たちと同じように、コドモを、きたないまま、わけのわからないまま、ありのまま、把握したい。

そして、もっと腹が立つのは、「受験勉強」や「ピアノのおけいこ」と同じようなつもりで、コドモに絵本を読ませる母親たちです。絵本は「教育」になりさがっています。自分じゃ読みもせずに、いいと言われている絵本を、いいと言われているとおりに、コドモに読み聞かせする。どうも、彼女たちの、そういう教育的熱心さは、絵本というものをバカにしてナメてかかっているように思えてしかたがない。わたしが感動したあの感動はどこに行くのか。もっともこの、何もかもが白熱していく時代に、母親は「熱心に」コドモを育てる以外にやりようがないということもわかってはいます。
# by n__hana | 2008-09-10 00:08 | エッセイ
「という、はなし」吉田篤弘・フジモトマサル
2006年筑摩書房
会社で古本市をやっていたので、もらってきた本。
「市」といっても、みんな無料!
とくしたー♪
そこで、はたと気が付いた。
「知らぬふり」である。
日々を取り囲むノイズたちにあらためて耳を傾けてみると、口調の濃淡はあるにしても、いずれも「知っていなさるか?」と話しかけてくる。
若いときは、やはりなんでも知りたかったし、知らぬことを恥じ、聞きかじった僅かな知識を風船のように膨らませては知ったかぶりの技術を磨いてきた。が、当然ながら歳をとるほどに知ったかぶりの風船はしだいにしぼんで効力を失ってくる。

いや、呆然となることもままならない。
地球がひと回りするたび、膨大な情報と新たなる知識が、「そんなことも知らないの?」と言いながら次々追いかけてくる。
え? 知らないの? え? 知らないの? え? 知らないの? 
追いつめられた夜の果てで、コートの襟を立てて夜行列車の切符を握りしめる。行き先は?
さあ、知りません。私はもう何も知らないのです。本ですか? いや、知ったかぶりばかりで本当はあんまり読んだことがなかったんです。これからひっそり、のんびりと読むつもりです。
# by n__hana | 2008-09-09 23:10 | エッセイ
「人生ベストテン」角田光代
2005年講談社、2008年講談社文庫
角田光代さんの短編集では、一番好きかも。
うまい!!とうなるくらい、暗い話がたまらなくいいのです。
悲しいのに、元気が出るのよ。
悩んだときに、ぜひおすすめしたい一冊。
リハビリに付き添っていた基一の姉は、ときおり電話をかけてきて、義父のわがままや、自分が介護を任されていることの不満を愚痴ったが、それを聞くのはいつも基一で、私たちがうまくいかなくなったこととまったく関係がない。私の父母も、新居や家事や子づくりについて口を出すようになったが、それだって、私たちの生活に何か影響を与えたとは思えない。

ごくふつうの生活だった。けれど私には、その三年に起こったひとつひとつ、どんなにささやかなことも含めたすべてのできごとが、私たちの関係を少しずつ磨耗していったように思えてならない。ひとつひとつ―たとえばヤンキーが、たとえばゴキブリが、たとえば正月が、私たちに正面切って問うのだ、おまえたちはちゃんと夫婦になったのか否かと。この生活に基づくものは愛なのか、それとも違う何かなのかと。夫しか知らないのだから、その答えが出るはずもなかった。

重い荷物を提げて先を急ぐ私たちは、まるで、社員寮の煮炊き係みたいだった。そこには愛もなく、生活すらなく、ただ義務ばかりがある。私たちが今まわしているものは、いったいなんなのか。「貸し出しデート」より
# by n__hana | 2008-08-28 20:38 | 小説
「子どもへのまなざし」佐々木正美
1998年福音館書店
とにかく、子どもをありのまま、受け入れてあげなさい―。
児童精神科医が説く、子育て論。
子どもがいない人もきっと、感動できる、やさしい気持ちになれる本です。
個人の関係でもおなじことがいえます。相手が私のことを、どう思っているかということは、私が相手をどう思っているかということと、ほぼおなじことなのです。これは非常にわかりやすく重要なことです。ですから、こちらが相手を好意的に思えれば、相手だってかならず、そういうふうに思うようになるのです。

親子関係もまったく同じなのです。ですから、「親が僕のことを不足に思っている」と感じる子どもは、子ども自身も親のことを不足に思っているのです。親が子どものことを「ありのままでいいよ」と思っていれば、子どものほうでも、「僕にとっては、そのままのお父さん、お母さんで十分だよ」と思っているわけです。そういう関係になるわけです。親が子どもにたいして、「まだあそこがだめだ、ここがだめだ、あるいは、ここがこうなればいいな、あそこがああなればいいな」と思っているうちは、子どものほうだっておなじように、親にたいして不足だらけに思っているわけです。こういうことは人間の心理の、人間関係の鉄則なのです。
ですから、親が自分の子どもを「いまのままで満足だよ」と思ってあげれば、子どものほうも、親にたいしてそう思うわけですから、家庭内暴力なんかおこるはずがないのです。そこがだいじで、この子はいたらないのだと思っていたら、子どもだって自分の親を不満だらけに思っていますよ。子どものほうでも、学校やクラスの懇談会なんかに、みっともなくて、きてほしくない親だと思っていますよ、親子も近所の人も、人と人との関係はみんな、おたがいっこなのです、そう思います。
# by n__hana | 2008-08-27 20:23 | 批評・思想
「愛を謳う」田辺聖子
2008年集英社文庫
恋愛小説の大家、田辺聖子のエッセイ集。
「ジョゼと虎と魚たち」の原作者としても有名。
38歳で結婚し、4人の子どもたちの義母になり育てた人でもある。
それだけに、さわやかでありながら重みのある言葉が多くて、ぐんときました。
まじめで丈夫でさえあれば、何とか命をつなぐことができる。そして、家族、友人など、愛するものに囲まれ、好きなことをして一生を送ればよい。たとえば私だと、ちょっぴりのお酒、季節の野菜やくだものや魚、いい景色、電話をかけることのできる母、毎晩お酒を一緒に飲んでおしゃべりできる夫、健康な娘たちがあれば、もうそれでよい。いまのところ、まだこれに仕事が加わるのだから、実にありがたいことといわなければならない。
私だったら、いくらいい作品が書けても、周囲の人にいやな奴、と思われたのでは、生きている楽しみがない。そういうことの方が耐えられない。
ただ、思うに、人間は、自分の拠り所、自慢できるもの、自信のもてるものがないと生きていられない動物である。その拠り所の置き場所がちがっているだけである。
だから、いい作品を書く人は、そこに拠り所があり自信があるので、他はかえりみないのであろうし、私は作品に自信がなく、楽しく暮らす現世の生活に自信があるので、作品第二になってしまう。どっちも同じことだ。
# by n__hana | 2008-08-25 22:24 | エッセイ
「ねにもつタイプ」岸本佐知子
2008年筑摩書房
引き続き、岸本佐知子のエッセイ2冊め。
洋酒会社に勤めていたという、OL時代の話が、リアルすぎて可笑しい。
本当に、会社が大好きだったんやろうなー、いいなあ。
たとえば、あなたは叱られて腰を抜かしたことがあるか。私はある。「恐怖の大王」として誰からも恐れられていたお局様だった。呼びつけられて机の斜め後ろに立つ。無視されること数分。やがてお局様が静かにバインダーを閉じ、こちらに向き直る。「だいだいあなたね」からあと、何を言われたか覚えていない。ただ、その第一声でフロア全体が水を打ったように静まり返ったこと、どこかで内線電話がトルルル、トルルルといつまでも鳴っていたこと、他の人たちが仕事をするふりをしながらペンを持つ手が完全に止まっていたこと、お局様の湯呑みの柄がキキ&ララだったことなどを、今もありありと覚えている。実際は五分たらずの出来事だったが、体感時間は一時間だった。一礼して向きを変え、自分の席に戻ろうとしたら足が上がらない。すーっ、すーっと摺り足で移動する私の姿は、さながら能役者のようだったと、後で語り草になった。

これらはどれも、就職していなかったらおそらく一生経験できなかった類のことに違いなく、(中略)だから翻訳志望の若いみなさんには、ぜひいちど普通の会社に普通に就職することを、強くお勧めする次第だ。
# by n__hana | 2008-08-23 15:12 | エッセイ
「気になる部分」岸本佐知子
2000年白水社、2006年白水uブックス
翻訳家として有名な著者の、初エッセイ集。
電車の中で読んでて、ふきだしてちゃって目のやり場に困りました。
シュールで皮肉で辛口・・・でも笑える!
私は非常に後ろ向きな人間である。頭の中はつねに悪い思い出、不吉な予感、自己嫌悪、反省、後悔などで満ちあふれている。何事も、まず考えられる最悪の事態を一通り想定してからでないと安心できない。(中略)
しかし、こんな事では現代人として失格であるわけで、私も人様のすなるポジティブ・シンキングをやってみようと考えた。
物の本によれば、いちばん手軽な方法としては、寝る前になるべく楽しく美しい光景、たとえばきれいなお花畑などをイメージするというのがある。これなら簡単だと思い、ある晩さっそく試してみた。布団の中で目を閉じ、呼吸を一定に保ち、一面の菜の花畑を思い描いていた。いい感じである。さらにリアリティを持たせるため、蝶を飛ばし、案山子もあしらってみる。と、黄色いじゅうたんの中ほどに、何やら黒いものが蠢いている。カメラをズーム・インしてみると、なぜか河童が一匹こちらに背を向けてうずくまり、花をむしゃむしゃ食っている。
# by n__hana | 2008-08-21 16:24 | エッセイ
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